経営不振に陥っていた、大手電機メーカーのシャープ。
台湾資本傘下での経営再建を決断した、と発表がありました。
経営不振に陥っているシャープは、国と民間が作る官民ファンド「産業革新機構」と、
台湾の「ホンハイ精密工業」から再建策の提案を受けて、主力銀行などと協議して
きました。
シャープは、液晶技術を国外に流出させないという国の意向を踏まえ、「機構」から3000億円の出資を受ける提案に基づいて、再建を進める方針でした。
「ホンハイ」側が最終局面で、支援金額を大幅に上積みし、7000億円を超える
規模の資金を投じることを提案したということです。この結果、シャープは4日の取締役会で支援額の規模で勝るホンハイと優先して交渉を行う方針を決めました。
シャープと言えば、液晶テレビが有名です。
三重県亀山工場で生産し、吉永小百合さんのCMで、一躍有名になりました。
ところが、大阪府堺市に建設した巨大工場が、その後の薄型テレビの販売競争が激化したことに伴って収益が悪化。
堺工場は、すでにホンハイの資本を受け入れています。
シャープは、創業者の早川徳次氏が大正元年にベルトのバックルを生産する金属加工会社として設立したのが始まりです。
大正4年には、社名の由来にもなった「シャープペンシル」を発明して、会社の礎を
築きましたが、関東大震災で工場を火事で失うなど壊滅的な打撃を受けました。
早川氏は、再起を図ろうと大正13年にシャープペンシルの製造販売の権利を売って、大阪に移転し電機メーカーに業態を変え、生き残ります。
国内で初めてとなる鉱石ラジオの開発に成功し昭和28年には国産のカラーテレビを初めて販売、世界初の電卓も産み出すなど、発明企業として新しい製品を次々と世に送りだしてきました。
面白いところでは、扉が右からも左からも開くことができる冷蔵庫、というのもありました。
「目の付けどころが、シャープでしょ?」というキャッチコピーは、シャープの技術開発の姿勢をうまく表している名コピーだと思います。
実は、シャープは、電化製品の重要部品はほとんどを外部調達に頼っていました。
ブラウン管テレビのブラウン管。
エアコンや冷蔵庫の心臓部、コンプレッサー。
電子レンジの心臓部、マグネトロン。
こうした重要部品を同業他社から高い価格で買わなければいけない上に、シャープのブランドは一流とは認められない時代が長く続きました。
この悔しい想いが、世界で初めての液晶の開発と事業化にこぎつけました。
その後、液晶を搭載した電卓、薄型テレビが大ヒットしたことは、記憶に新しいところです。
ところが、自社製品に搭載する以上の液晶生産能力を持つ堺工場を稼働させたことで、「過剰投資」がシャープの屋台骨を揺るがしました。
台湾のホンハイ精密工業は、シャープとは全く逆の経営スタイルです。
自社ブランドはあえて作らずに、完成品を他社に卸して、黒子に徹するのです。
お宅のテレビや携帯電話も、実はホンハイが生産している!ということも珍しいことではありません。
「液晶の技術が海外に流出する!」という懸念は、いろんな人が口にします。
でも、多額の資金と経営ノウハウを持つホンハイは、シャープの再建を託すにはまさに適役とも言えます。
大企業の経営がいつまでも上向かないのでは、国、工場立地地域、従業員にも悪影響が残ります。
外国資本の傘下に入るという決断、今後の最終交渉が上手く進み、シャープがいち早く経営危機から脱することを望んでやみません。