日本の学校教育に欠けている「決断力教育」

最近、季節商品ビジネスのスタート時期が ずいぶん前倒しされましたね。

私も、50%オフにつられて 年賀状印刷を発注しました。

おかげで、12月にやるつもりだった2015年に頂いた名刺を住所録管理ソフトへの入力作業を大幅に前倒しすることになりました。
枚数確認のためです。

そして、年賀状はすでに発注いたしました。
印刷業者も、消費者も、お互いにメリットがある「季節商品ビジネスの前倒し」。
これから、いろいろと広がるのでしょうね。

  
日本の学校教育については、様々な問題点が指摘されてきました。

知識偏重から、考える力重視へ。
学力重視から、ゆとり教育へ。そしてその反省と揺り戻し。
でも、結局のところ「お勉強」とは知識を詰め込むことであることには、変わりがありません。

知識は、もちろん大切です。
「よみ 書き、そろばん」に代表される基礎学力の大切さは、今も昔も変わりません。
基本的な学力が無いと、社会生活を営むことができません。
プラスアルファで、専門教育による知識も大切なのは、もちろんです。

でも、知識をいくら詰め込んでも。
決断力が無ければ、知識は無駄になります。

そして、決断力が無い、無責任なトップによる弊害は、最近特に目立ちます。

私は、サラリーマン時代に 東京大学を卒業し、会社の留学生としてアメリカの
大学院で2年間学んだ上司に仕えたことがあります。
彼は、知識は豊富でしたが、決断力はゼロでした。
他人の意見を批判したり、不足を指摘するのですが。
では、どうすればいいのかの決断は、決してしませんでした。
そういう場面から逃げ回っていたのです。

豊臣秀吉や松下幸之助には、知識は無くても決断力がありました。
だからこそ、一代で途方もない成功を収めることができたのです。

金融商品に対する教育と併せて。
日本の学校教育には、自ら考えて行動する、責任をきちんと

明確にする、といった「決断力教育」も必要だと思うのです。